東谷寺は、正式には明香山観音院東谷寺といい、
本尊に如意輪観世音菩薩をおまつりする、真言宗豊山派のお寺です。
当山の歴史は、一色宮内政良(永禄4年,1561年没)が当地に築城の折、
鬼門除けの寺として如意輪観音を迎え、
現在の地(茨城県取手市)に観音堂を建立したところから始まります。
後に、現地より500m程(現在東京芸大敷地)
東へ離れたところにあった寺を合併し今にいたります。
その寺の名は明香山東谷寺と称しておりました。
今その旧跡に立ちますと、西には小高い丘を背負い、
東に開けた場所で、正に東の谷と称するにふさわしい地形を有し、
山間の木立からは、まさしく明香が立ち込める地であったと思われます。
その後の歴史は詳らかではありませんが、
徳川時代の初期に一度焼失したと伝えられております。
その後祐栄(1684年寂)の名を見ることができますが、
さらにその後祐賢(1717年寂)が出て当山を興隆し
法流開山第1世と称しております。
現住職は法流開山第19世ということになります。
以下、法流開山第1世より、代々の住職を列記いたします。()内は寂年。
祐賢(1717)・頼智(1720)・栄賢(1732)・賢秀(1753)・智海(1755)・廻栄(?)・
栄応(1795)・来雄(1798)・快真(?)・祐弁(?)・尊晴(1839)・祐覚(?)・
秀賢(1914)・秀忍(1941)・秀渓(1948)・秀忍(1948)・秀善(1962)・秀和(2010)・秀成(現在)
尚、開山から数えると現在までで56代と伝えられております。
また、当山の檀徒の中で最も古い記録を残すものには、
弘治元年(1555年)の銘があります。
一色宮内政良公がお祭りした如意輪観音像は現存しており、秘仏として大事に安置されております。
そのお姿は大変お美しくお参りすると心洗われる思いがしますが、秘仏になっている為、みなさまにお見せすることができないのが残念でなりません。
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